既にブームは過ぎ去ったのか? 地方在住の私が感じているClubhouseの可能性

簡 孝充

数々のメディアで話題になった音声型SNS「Clubhouse」。日本で話題になってから既に3ヶ月ほどが経過しています。実際に私が利用ができたのは、話題のピークが過ぎ去ってからのことでした。既にオワコン化しているという論調がある一方で、自らを「Clubhouseの住人」と語る著名人も多く存在します。

今回は、実際に使用してみた個人的な感想を投稿をさせて頂きます。

新しいネットサービスらしからぬ「効率」の悪い面白さ。

私はオンラインサービスは、非同期型であることが強みだと考えていました。利用者が時間や場所の制約を受けないからです。非同期型サービスとは、情報の発信側と受信側の双方が同時に利用しなくても良いものを指しています。

例えばメール、LINE、slack, chat workなどは非同期型です。youtubeにしても、LINEにしても、facebookやinstagramも基本は非同期型です。(一部にて同期型(ライブ配信等)の機能がありますが…)

ユーザーが必要な時に欲しい情報にアクセスできるので、現代人のライフスタイルには適しているという考え方が一般的なのかと思います。

通信機器とプラットフォーム様々な通信機器(写真:68design/photo AC)

一方で、電話やテレビやラジオのような従来型メディアは基本的に同期型です。発信元が情報発信をしているタイミングに受信側がいないと情報に接する事ができません。インターネットサービスであるにも関わらず、clubhouseも同期型です。このご時世に、どうしてそんな効率の悪いツールを利用する人が多いのでしょうか?

とてもわかりやすい記事あったので引用させて頂きます。

自身もモデレーターとしてClubhouseを使い始めた、ヤフーの投資子会社・YJキャピタル(東京・千代田)の社長、堀新一郎氏は、「自分の知らないところで面白い話をしているのではないか。そんな、いわゆるFOMO(fear of missing out、見逃すことに対する恐怖感)を刺激する設計になっている」と分析する。うっかり聞き逃したら、悔しくて仲間外れにされたような感覚に陥るからこそ、つなぎっぱなしにしたくなるわけだ。逆に、その体験を共有できた人たちの間には「つり橋効果」による共感も生まれやすいとも話す。

引用元:「話題の「Clubhouse」になぜハマる 起業家たちが語る“中毒性”」日経 XTREND 

ここで言われているように、clubhouseの中毒性は、自分が幼い頃に経験した感情に近いものかと思います。人気のテレビ番組やゲーム、漫画などを知らないことで、「クラスメイトの話題について行けない」という恐怖感です。

clubhouseの場合、現在の自分に近いコミュニティや興味のある人たちの間で発生している会話なので、尚更気になってしまいます。私自身もアプリをダウンロードしてからの数日間は、まさに中毒状態でした。

「恐怖感」と言うと、ネガティブなニュアンスに感じる方も多いかと思いますが、決してそれだけではありません。現在の自分が属しているコミュニティの外で繰り広げられている会話に触れることで、それまでは知りえなかった事に出会う機会にもなります。

非効率的なのに、どうして熱狂的な支持者がいるのか?

前述のようにclubhouseは消費(浪費)してしまう時間という点で、とても非効率的です。

この会話がどのくらい続くのか?どんな話ができるのか?そもそも知りたいことが知れるのか?という肝心なことは全てルームを立ち上げたモデレーター次第です。

良くも悪くも、モデレーターの(利用者の)人柄が感じられるサービスという訳です。「効率」という視点で考えると、決して優れたサービスではありません。人によっては、テレカン(電話会議の機器)に知らない人が入ってくる危険なサービスとして認識していたりします。

私の友人には、ダウンロードはしたけど、ほとんど使わない方が多いのも事実です。単純な機能面のみを考えると、あまり良い点が見えてきません。

しかしながら、一部の層にはどうして支持されているのでしょう?

次の一節を読んだ時、少なからずその答えが理解できる気がしました。

婚活サイトには膨大なデータベースがあるから、ビッグデータに基づいて僕の嗜好に基づいた必然的なリストが表示されるわけですよ。インターネットをはじめ資本主義社会は偶然的なつながりをなるべく排除して必然性がある人間関係ばかりをどんどん強化していく装置なんですよね。だから、現代社会では偶然性を導入しなくてはいけないんですよ。

引用元:「これからの教養」菅付 雅信 著(これからの思想(東浩紀)ー偶然性と誤作動が人間性を取り戻すより)

ここで言われている偶然性というものがまさにclubhouse内の非効率な空間を指しているように思えます。techranchの記事では、clubhouseを "spontaneous social appos(自然発生的なソーシャルアプリ)"という言葉で紹介しています。私はこの「自然発生的」という言葉は、上記の引用文で言われている「偶然性」と同じ意味だと理解しています。

リモートワーク

リモートワークのイメージ(素材:VectorMine/shutterstock)

昨年(2020年)は、時代の転換期だったと思います。リモートワークを導入されている会社に勤めている方は、むしろ業務効率が上がったと感じている方も多いはずです。私が以前在籍していた会社でも、フルリモート環境です。これまで常識であったー出勤したり、会議をしたり、顧客訪問をしたりというーオフラインで行われてきた行動が、コロナ以降はzoomやteamsでより効率的になりました。

彼らが口々にしていることは、『リモートワークで生産性が上がったんだけど、毎日つまらなくなったなぁ…』

ということです。私の友人たちは、面倒な事から解放されたのに、どうして毎日がつまらないと感じるようになったのでしょうか?

恐らく、効率化され過ぎた毎日によって”偶然的なつながり”が排除されてしまったからでしょう。

・amazonの書籍レコメンドがあるのに、たまに本屋さんに行きたくなる…。

・明日も仕事だけど、何か物足りないから帰路で一杯飲んでいく…。

こんな風に非効率的な時間を過ごしたいと思うことは、誰しもが経験することではないでしょうか。

では改めて、非効率的なclubhouseがどうして一部の層に支持されているのか?それも熱狂的にです。

それは、効率化され過ぎた現代社会に排除されてしまった”人間らしい偶然的なつながり”を取り戻せるように感じている方が多いからではないでしょうか。

地方エリア居住者の私がclubhouseに感じている可能性。

ここまで、clubhouseについて自分なりに思うことを書かせて頂きましたが、最後に「地方に住む自分がどんな風に活用すべきなのか?」

という点について書かせて頂きたいと思います。

唐突ですが「中央集権」とは、歴史の教科書で覚えた言葉でしょうか…?私が東京で働いていた際に、それほど耳にする機会はありませんでした。

ただし、地方で働くビジネスマンが口にすることは決して少なくは無いです。確かに、日本は政治や経済だけではなく教育、エンターテイメントなど、ありとあらゆるモノやコトが中央集権的な構造です。歴史的にずっと一極集中なので当然のことです。そういった既成事実について特に思うことはありません。

ただし、地方の人が「中央集権」という言葉を発するとき、少なからず「私たちは情報弱者ですから…地方は舐められて当然ですから…」というネガティブなニュアンスがあり、私はそこに問題意識があります。

人と街と動物自然な都市のイメージ(素材:VectorMine/shutterstock)

蒲生 寛之さんは以前の投稿で、こんな風に言われていました。

この国においての「中央と地方」というこれまでの概念は薄くなっていくはずです。地方創生というビジョンを実現していくためには、よそ者や当事者という心理的な垣根を捨て去り、共に最適解を見出していく姿勢こそが重要なのではないでしょうか。

引用元:地方創生のジレンマ-「よそ者」と「当事者」の垣根について-

私はClubhouseのように特定のバイアスがかかっていないコミュニティが広がることで、そういった「心理的な垣根」が自然に薄くなっていくのかと思います。これまでのメディアはあらゆる情報に中央集権的なバイアス、もっと言えば資本主義バイアスがかけられていたように思えます。

わかりやすく言えば、お金をたくさんかけた人たちが優位に露出できる情報ばかりに触れてきました。これまでのメディアビジネスの構造を考えると、それは仕方のないことです。

しかしながら、それでは受け手側にバイアスが刷り込まれて、結果として、中央と地方という心理的な垣根が生まれ易い構造だったのかと思います。

現在のclubhouseはそうではありません。広告スポンサーからの収益で成り立っているメディアではないからです。有名人も一般人も、金持ちも、そうではない人も、途切れやすい環境の中で会話をしています。また、我々のような地方住民がアクセスできなかった情報にも簡単に触れることができます。

例えば、

・ベストセラー作家同士の討論

・有名雑誌の編集長の話

・新聞記者同士の座談会。

・有名映画監督の話

・VCや投資銀行関係の人の話

・超大物経営者が考えている今後の話

・人気タレントが寝る前にする話

・有名スナックのママの話

…etc

こんなコンテンツは一昔前まで、一部の人だけがアクセスできる情報だったはずです。clubhouseを利用していると、能動的な行動次第で、様々な情報にアクセスができます。自分で考えて、情報を取捨選択できれば、どんなエリアに住んでいても、地方住民の中央集権バイアスが薄くなっていくものなのかと感じています。

情報の民主化とでも言いましょうか…そんな可能性をclubhouseには感じています。

今回は、clubhouseについてあれこれと書かせて頂きましたが、私はド素人です。

もっと言えば、「このアプリが再燃するのか…?」そんな事は知りません。近々、アンドロイド版もリリースされるらしいという公式の情報は知っていますが…。

しかしながら、clubhouseのオワコン論を読んでいると、がっかりしてしまいます。

私はそれなりに楽しめているので、この状況が続いて欲しい。そんな風に考えています。

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文:簡 孝充

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